今日はその続きのエジプト時代から中世ヨーロッパ時代のパンのお話です。
前回は小麦栽培のはじまりや、さいしょのパン(平焼きパン)が誕生した話でした。
今から5,000年~4,000年くらい前【エジプト】
古代エジプトでは、毎年のようにナイル川が氾濫し洪水が起こっていました。
そのおかげで、土地はゆたかになって農業が盛んになりました。
大麦も小麦も植えられてよく育ちました。
ある日のことです。
いつものように平焼きパンを作っている人がいました。
「あ!ちょっとやること思い出した…」
「パンはいつでも焼けるから、あれが終わってから焼きに戻ってくればいいっしょ」
ところが、うっかりしてそのまま忘れてしまいました。
翌日…
「うわ、やっべ。ほったらかしちった」
「げ!何これ?なんかブツブツしてね?」(酵母が繁殖して炭酸ガスが発生している)
「やべー。腐っちったかも。でももったいないし…とりあえず焼いてみっか」(発酵すると酸味を帯びる)
「ん?なんかいつもとちがういい感じの匂いじゃね?」(パクッ)
「うまぁ!いつものよりやらけー(やわらかい)」
これは、空気中にあるイースト(酵母)菌が生地の中に飛び込んで、
パンを食べやすくおいしいものに変えてしまったということなのです。
こうして発酵パンが生まれました。
すると、エジプト人たちは考えました。
「じゃぁさ、このブクブクしたやつに小麦粉足してみたらどうなる?」
「ちょっと塩入れてみよ!」
「それなら糖分もありじゃね?」
「ジャガイモ茹でたのでも同じようになるのかやってみよーぜ?」(澱粉があるから、なります)
「なにこれ!うまっ!今までのより白いし、ふっくら!」
「よりふっくらさせるには、大麦より小麦じゃね?」
「すげー!オレたち天才じゃね?」
かなりわたしの妄想が入っていますが、
このようにしてパンはどんどんおいしくなっていきました♪
パン焼きをサボって、ダメにしたかもと思った生地を焼いて食べてくれた人、素敵!ありがとう!!
こうしてエジプトではいろいろなパンを焼くようになり、
パンの発祥とされるエジプト人は『パンを食べる人』と呼ばれるようになりました。
参考:当時のパン窯のはなしはこちら《パンの歴史②エジプトー中世ヨーロッパ》
今から2,800年くらい前【ギリシャ】
いろんなパンを作るようになったエジプト人ですが、
その製法は秘法として国外に伝えてはいけないと禁じられていました。
しかし、古代ギリシャの人々は
エジプトに捕虜としてとらえられていたヘブライ人から
穀物の栽培法と製パン法の情報を入手したのです。
「あのさ、ジャガイモを茹でたのでできるんだったら、
ひえやキビでやってみたらどうかなぁ?」(澱粉があるので、できます)
「白ブドウあるけど、ブクブクしないかな?」(発酵種になります。果皮ごとOK)
「いつもより長く放置してみない?」(長時間発酵)
「これを乾燥させたら便利じゃない?」(ドライイーストのようなもの)
きっとこんな感じで(?)、
ブドウ種や長時間発酵、またパン種の長期保存法を見出しました。
焼き窯(オーブン)もエジプト時代のものから改良されました!
それまでは各家庭でのパン作りでしたが、人口の集中とともに共同製パン所ができました。
まわりの国から小麦を買い、パンやお菓子を売るなど貿易もさかんになりました。
BC200年頃には
70種類のパンがあったと伝えられています♪
BC168年 【ローマ】
古代ローマの時代に製パンはびゅーんと飛躍的発展を遂げました。
遂に工場生産が始まります。
ご存じのポンペイ遺跡(現在のローマの南方あった町;18世紀に発掘)で、
立派な製粉用の臼や石造りのパン焼き窯が発見されています。
ところで、ローマの初期のパン作りは女性の仕事でした。
重い石を挽いて粉にするのも、生地を作るのも焼くのも重労働です。
しかしBC158年に、マケドニアから大勢の捕虜を製パン工として連れてきたので、
一度に大量のパンが作れるようになりました。
そして、パン作りが女性の仕事ではなくなりました。
Lady(レディ)
聞きなじみのあるレディ(=女性)の語源はココから来ています。
Lady(レディ)はもともと パンを作る人 という意味でした。
ローマ時代の女性がパンを作る人だったことを知らないと、なんで?ですよね(^^)
捕虜から解放された人たちは、
パン屋さんの開業が認められました。
人口2,000人に対して約1軒の割合でパン屋さんがあったと言われています。
またこの頃に、馬の尾で編んだ篩(フルイ)が発明され、
小麦がふすまと穀粉が分離できるようになりました。
より一層、パンの品質が向上していきます。
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中世ヨーロッパ 5~6世紀
約1,000年間の中世の時代に入ると、キリスト教とともにパンも多くの国に広まりました。
この頃のパン作りの中心は修道院で、様々な特権を持ちました。
なんとその権利を守るために、
農民から倉庫や製パンに関係するものをとりあげてしまったのです。
そのせいで人々は、小麦で作ったパンはめったに食べられなくなりました。
お祭りや結婚式の時にかまどの使用料を払って、
修道院に小麦のパンを焼いてもらうようになったのです。
中世ヨーロッパ 14~16世紀
イタリア・ルネッサンスに代表されるように、経済や文化が発展しました。
おいしいパンをもっと食べたいという声も大きくなり、
修道院のパン作りから、町のパン屋さんへと変わっていきました。
これでみんなが自由にパンを買えるようになったのです。
さらに、パンの大きさや質が落ちないように国や町が見張るようになりました。
ドイツやフランスではパン職人の見習い期間が決められたり、
修了者には資格が与えられるようになりました。
おまけのバナナアート フランスパン
ここまでのパンの歴史を見てくださりありがとうございました!
《さいしょのパン》同様に
失敗からおいしく進化していったパン作りの世界!
きっかけがおもしろいですし、
昔の人ありがとう!とつくづく感謝する次第です。
参考:パンの歴史③と④《日本のパンの歴史》もご覧ください。
全くの余談ですが、毎朝バナナを食べています。
今朝バナナを食べながら別の房を見ていたら…なんだかフランスパンに見えてきました。
なので前々からやってみたかったバナナアートをやってみました。
最後に気楽に見ていただけたら嬉しいです。
コメント
Ladyの語源には驚きました。
バナナにバゲットの絵を書くとは、次回予告ですね。
こんばんは。
語源、切り取り方がおもしろいですよね。
いつもありがとうございます(^^♪