今日は、日本のパンの歴史をひも解きます。
参考:歴史①→小麦とパンのはじまり
歴史②→小麦とパンの発展
現在では多種多様なパンがあり、製パン技術も作り継がれています。
パン食は食の選択肢として当たり前の存在になりました。
さらに新しいパンや、各国の伝統パンが研究されて常に進化成長していると言えます。
そんな日本のパンのはじまりはこちらから…
中国から伝わった小麦と蒸しパン 《平安時代》空海
日本に小麦が伝来したのはBC200年ころのこと。
中国では古くから“蒸す”という調理法と道具がありました。
穀物を煮るよりも蒸すことにおいしさを見出していたので、
小麦に対しても西域の焼く方法ではなく、迷わず蒸したのでしょう。
当然の流れだったと思われます。
自然発酵して蒸したものを蒸餅(チョンピン)と言いました。
それが日本に伝わったのは806年です。
遣唐使の空海が中国から(蒸餅チョンピンのもとになるものを)、日本に持ち帰って来てくれました。
それまではエジプト時代初期のような、
【小麦を粉にする→捏ねる→薄くのばして焼く】
という無発酵でせんべいの様なパンでした。
空海さん、ありがとう!
西洋からふっくらパンがやってきた 《1543ー1549年》
16世紀になると海を渡って…
1543年にポルトガル人が種子島(鹿児島県)に漂流し鉄砲伝来、
1549年フランス人宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島県に上陸しました。
キリスト教の布教とともに製パン技術とパン食が普及していきました♪
どうなる?パン禁止令 《江戸時代》
1633年から鎖国が始まりました。
朝鮮、琉球、中国、オランダとの通商関係に限定されたこのころは
もちろん西洋型のパンを食べることも禁止です。
唯一ゆるされたのは長崎のオランダ屋敷だけだったのに、
1636年にオランダ船の入国制限がかかり、長崎での製パンの普及が止まってしまいました。
パンが食べられない間は麺類が浸透!
反対に、許されていた蒸餅チョンピンは
①日本人には脂っこい②豚肉が入っている(仏教で禁止)
このような理由で嗜好が合わなかったんです。
注目されたけど利用されなかった兵糧パン《1840年代》
鎖国から200年も過ぎたあとの江戸幕府、
伊豆の世襲代官である江川太郎左衛門(えがわ・たろうざえもん)が登場します。
彼は軍食用に軽くて、火を焚かなくてよい(煙で敵に居場所がばれない)パンに目をつけました。
水分が少なく腰にぶら下げやすいドーナツ型の乾パンを作って備蓄しました。
結局戦争は起こらなかったので、このパンは利用されませんでした。
この日何の日?
1842年4月12日
答え
江川太郎左衛門が伊豆韮山の私邸ではじめてパンを焼いた日です。
これが現代において毎月12日はパンの日になった由来です。
この後
明治時代に入り、
開港後の横浜からパンが広がっていきます!
今日は「日本にもやってきた小麦とパンの伝来はとってもゆっくりだったよ」というお話でした。
このあとの明治から、本格的に発酵パンに取り組み始めます!
続きはコチラ→パンの歴史④日本のパンその2 あんぱんから始まった
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