
パン屋さんの閉店は悲しく、さびしいものです。どうして閉店??そう思いますよね。
はじまりがあれば、いつか終わりがあるものとは言え…。
パン屋さんに限らず、どこかのお店の閉店と聞けば、
「何かあったのかな?」「人が入ってなかったもんな」「病気?」「後継者がいない?」
「人気があったのに…」「ずいぶん急に決まったね…」「どうしたんだろう…」
ついつい色々と勘ぐってしまいますが、多くの場合、詳細は説明されないものです。
プチペは順調でした



わたしは毎日、パン作りから販売までの工程をほぼひとりでやっていましたので、
時には接客中にパンが焼きあがってお客さんに、ちょっと待ってもらうようなこともありました。
なので、忙しさや仕事量はあくまでも一人でできるギリギリの範囲に抑えていました。
ですから、軌道にのるペースは割とゆっくりだったのかもしれません。
それでも、色んな媒体(無料)にとりあげてもらって、宣伝してもらいましたし、
ラジオや雑誌、本、様々な業界の機関誌のインタビューなどの声掛けもありました。
このころは閉店なんて考えもしなかったです。
辞めた今でもあのころの色んな証拠が残っていて、懐かしくもあり、ありがたく思っています。

なぜか警察の機関誌などもありましたよ(^^♪
お客さんとのコミュニケーション




朝から13時半くらいまでは、白衣でパン作り及び翌日の準備や掃除ですが、
それらを終えた午後は、着替えて接客をしながらよく書き物をしていました。
お客さんと長ーく楽しくお喋りをするほかに、お客さんからFAXやお手紙をいただくことも多かったのです。
そんな午後の時間に“プチペニュース”を書いたり、FAX送信、お手紙の返事書きもしていました。

“プチペニュース“はこのブログの前身とも言えますね(^^♪
“おうちのパン屋さん“の時に始めた『パン教室』は、プチペが少し忙しくなったので
ある時期からできなくなってしまったのですが、生徒さんたちから「パン作り」の相談をうけることもありました。
友だち・親戚の来訪



親戚も学生時代の友人たちも、みな関西や南関東に住んでいますが、パンを買いに&励ましによく水戸市に来てくれました。
友人知人と親戚との写真はもの凄い数になります。

同性の友人たちはお泊りコースで、
プチペ見学と茨城観光をセットで楽しんでもらうのが定番でした(^^♪
閉店は突然にやってくる

そんな波にのっていた4年目のある日のこと、【家主】から呼び出されます。
そこで、言われたのは「あそこを解体したいので、出て行ってほしい」でした。
突然のことでしたので、驚きました。
そう、閉店の波はいきなりやって来るのです。
環境が閉店に向かっていた

実は、ちょうどそのころ父の新たな転勤が北陸に決まっていました。
その他の家族も茨城から出ることに決まっていました。唯一茨城に残る家族は、新しい家族と住む場所が決まっていました。
そうなのです。わたしは実家とお店が同時になくなることになったのでした。
継続するにはどうしたらいいのか?閉店するしかないのか?
閉店の決断

当時のわたしとプチペの状況は、軌道に乗り始めたところであって、まだまだこれから。
『移転して再スタートする力』はなかったんです。
もしも、実家がなくなってもプチペがあれば、プチペの2階に住んでお店は続けられました。
でも両方なくなるなら…今後はひとり。身の丈に合った決断をしなくては。
わたしは、開業資金の残金およそ2年分は、別のパン屋さんで働きながら完済しよう!と閉店を決めました。

幸いなことに、
本当に順調だったので借金は増えなかったんです。
ありがたい…。
閉店まではあっと言う間…



わたしは割と記録魔ですが、閉店の記録はほとんど残っていません。
急すぎて時間があまりなかったのと、心の余裕があまりにもなかったからなのかもしれません。
閉店が決まってからは、プチペのお客さんがそれはもうひっきりなしに来てくださいました。
お客さんの存在がありがたく、そして続けられないことが申し訳なかったです。
閉店準備

閉店準備は大変でした。
まずは、開店の時と同じところへ行って閉店する旨を伝えていきます。
(税務署に関係する書類は廃業しても5年保管が必要です。)
営業しながらだったのでバタバタでした。
一番大変だったのは、機材と道具の処分です。
ほとんどの業者に「買取の値がつけられない」と言われました。
それどころか、処分するには高額な費用がかかりました。
当時、閉店するパン屋さんが多かったのと、プチペの機械があまりにも古いものだったからです。
超格安でKさんから譲渡された機材は、プチペの経営上うまくやりくりしていましたが、価値は予想以上になかったのでした。
最終的には【家主】が「解体するときに一緒に処分するから残してもいい」と言ってくれたので
ほとんどの機械を置き去りにして退去しました。

プチペ跡地は、
退去してしばらくはそのままでしたが、
その後建物の解体がなされました。
20年以上経った今も何もないまま(駐車場?)です。
閉店後の職場

プチペの最終日は2001年3月28日でした。
その4日後の4月1日から、わたしは東京都大田区の友人のパン屋さんで働かせてもらいます。
プチペの閉店が決まった時に、友人(社長)に報告したその電話で
「じゃ、うちにおいでよ。ちょうど一人辞めるんだ。親父(会長)に言っとくよ。」
その言葉のまま、プチペにあった使えそうな色んな道具とともにわたしは大田区に転居したのです。
都内の一人暮らしと開業資金の残金返済はパン屋さんの収入ではギリギリの生活でしたが、延長することなくパンで借金完済できてよかったです。
この間、恥ずかしながら「お金ない」が口癖でした。
パン屋さんなので食いっぱぐれることはなかったですが、
休日には友人や知人の誰かがいつもお弁当を買ってくれたり、食材をおすそ分けしてくれたりしました。
ここでもたくさんの人に支えられて悲壮感もなく、パン職人を楽しんで続けました。
“生きてるってスバラシイ!“はそんな経験からこみあげてくる思いです。

この友人のパン屋さんでのはなしは
また今度…
パン屋さんの閉店 まとめ

プチペは3年3か月と実に短命でした。しかし、非常にいい経験をさせてもらえました。
この経験は、がんばっていたわたしへの神様からのプレゼントだと思っています。
そして、自分自身にとっても、また、ほかの誰かにもこの経験が役に立ったらいいなと思っています。
今日は「パン屋さんは好きなだけじゃお店はできない」「チャンスがあれば開業できる」
「始めることよりも継続するほうが難しい」「なんでも経験ですね」というおはなしでした。

プチペのお客さんと
支えてくださった方々に感謝(>_<)!
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