
フランス留学は2年間だったのですが、それはそれは濃い2年間でした。
そして人に恵まれて、めちゃくちゃ苦労したことがあるはずなんですが
楽しいことしか覚えていないです。感謝♪
今日は語学学校を中心にしたホームステイ生活、製パン学校合格、お引越しまでのお話です。
はじめの語学力 ちんぷんかんぷんの宇宙人
日本でのフランス語の学びは完全に独学で緩いものでした。
「元気?」「名前は?」「何歳?」「日本のどこから来たの?」
「どれくらい滞在するの?」「何をやってる人?(職業)」
こんな教科書の最初のページにあるような質問にも答えられませんでした。
彼らが特別早口だったわけではないですが、
何を言っているか聞き取れませんでした。まるで宇宙人…

ホストファミリーの中で唯一英語ができるFlorence(フロホンス)が
気を遣って英語で話してくれましたが、
わたしは英語がさほど得意ではなく、
フランス語だと思って聞いているので余計に混乱しました。
それでも1週間もすれば相手の単語が聞き取れるようになり、
2週間もすれば言ってることがだいたいわかるようになり、
3週間もすればこちらの言いたいことも伝えられるようになり、
半年ぐらいたつと夢もフランス語で見るようになりました。
辞書とジェスチャーは必需品です。
※聞き取りが出来るようになると、日本で学んだこともちゃんと活かされましたよ♪



ホームステイ 仕組みと食生活
わたしの場合は、語学学校とホストファミリーが連携していました。
なので支払いは学校経由でした。
細かい取り決めはよくわからないので、ママであるHélène(エレーヌ)に従っていました。
「ごはんつき」と「ごはんなし」は「ごはんつき」を選びました。
フランス人の家庭料理が知りたかったからです。
Hélèneはよくわたしのために魚を買ってきてくれました。丸ごと一匹。
フライパンにバターを溶かして焼く。ごろんと一匹お皿にのりました。
魚を捌く習慣がないんでしょうね、いろんなものがそのままでした…(;’∀’)
「みんなと同じものが食べたい」とリクエストしてお肉を出してもらうようにしました。
今度はカ〇ルやウサギが出てきてびっくりしました。



個人的にはフランスの食べ物が合うらしく、みるみる太りました。
ある日、自分の部屋で座って書き物をしている時にくしゃみが出ました。
「はぁーっくしょんっ!」
同時にブチっと音がして履いていたデニムのボタンが勢いよく飛んでいきました。
2回目のくしゃみでそのデニムの脇がバフっと言って破れました。
ショックでしたが、一人で大笑いしました。
帰国後、サービスで着た浴衣の写真を見た知人に「お相撲さんみたいだね」と言われました。ひー
フランスの食べ物はおいしすぎて危険です。



「洗濯は自分でする?」「やってあげようか?」という選択もありました。
「自分でする」を選ぶと部屋の洗面台で洗うことになるので、お願いしました。
HélèneはTシャツ1枚にもアイロンをかけてくれました。
でも、別料金が発生。
「そんなものかな?」と思ったのでHélèneに支払っていました。
するとしばらくして学校でそのことを聞かれました。
どうやらHélèneの悪だくみだったようで、別料金は廃止になりました。
ちょっとだけHélèneを気の毒に思ったので、洗濯は自分ですることにしました。


たまに商売っ気が出てしまうHélèneでしたが、このファミリーは本当に良くしてくれました。
のちにアパルトマンに引越した後も交流を続け、2年間ずっと家族のように接してくれました。

結婚式にも呼んでもらいました

(金髪ロングヘア) あとの二人はエレーヌの長男の娘(孫)姉妹
語学学校 Alliance Française 語学と観光
Alliance Française(アリアンス・フランセーズ)は外国人向けの語学学校です。
いつでも入学できるので毎週人が入れ替わっていました。
色んな国の人が色んな理由や目的で勉強していました。
語学学校のクラス
わたしが最初に入ったクラスは超超超初心者クラスで幼稚園みたいな内容でした。
実際にそんなレベルだったんです。
そこからどんどん理解力が増していき、クラスが上がっていきました。



生徒たちは相当キャラ濃いめでしたが、先生たちもユニークで授業でよく笑いました。
文化の違いはあちこちに感じられました。
「日本人は隠れて鼻をかむ」とオモシロがられましたが、
こちらはスニッカーズ(キャラメルの入ったチョコレート菓子)を食べながら授業をする先生に驚きました。
1年もいれば授業中に遠慮なく鼻をかんだり、スニッカーズを食べたりしちゃいました。
恥ずかしながら…かぶれてしまいました(*ノωノ)
日本にはあまりないホームパーティも、各国の友達に誘われてよく行きました。



語学学校の休日 観光
Alliance Françaiseでは、休校の土曜日に観光に連れて行ってくれました。
もちろん有料で希望者のみ参加なのですが、
モネの庭で有名なジベルニー、モンサンミッシェルなどノルマンディの観光地に格安で行けました。



語学学校の日本人
学校には日本人もそこそこいました。
どの国に行っても同じらしいですが、日本人はよく固まります。
これまたどの国でも同じらしいですが、日本人留学生は2つのタイプに分かれます。
Type1:「日本人同士日本語で話そう」
Type2:「日本人だろうがフランス語で話そう」
わたしは最短でパン学校を受験するというミッションがあったので、
ほとんどフランス語ができない人クラスにいるレベルでもType2の人たちの輪に入りました。

各国の人たちはフランス語じゃなければ英語で話す人が多かったです。
その様な環境にいたわたしは、
英語で聞いてフランス語で返事をするという特技を身に着けました。
今でも抜けないとても不思議な現象です。
入れ替わりが激しい学校に1年在籍しました。
ここで得たものは語学力だけではありません。
様々な国の人との交流の中でかけがえのない良い経験を積みました。


Alliance Française RouenのHPはこちら
フランス留学あるある
“日曜日のMarché(マルシェ;市場)が楽しみになる”よりも
留学生で盛り上がるちょっとマニアックなあるあるネタはこちらです↓
・髪は自分で切る(アジア人の髪を上手に扱える美容室が少ない)
・日本人を指して「Chinois(中国人)」と言われる…日本は中国の一部と思っている人もいる
・世界地図に日本がない(そんなに小さかったっけ?)
・明るい時間が長い…午後2時くらいの明るさで21時(夏)
・シエスタ(昼の休み時間)の意味がわからない…「仕事しなよ」って思ってしまう
・サマータイムに迷いがち
・日本から持ち込んだシャンプーが泡立たない(超硬水だから)
・物乞いをする人が大胆過ぎる
・スリにご注意
・ウールのセーターは仕舞わない(夏でも寒ければウール着用)
・紐を引っ張って流すタイプのトイレがある
・英語が苦手(Hélèneはよく「買い物に行く」と言いたくて「ジョギング」と言っていた 笑)

日曜日は教会へ
フランスの宗教はカトリックが大半ですが、
ROUENにあったプロテスタントの教会に行ってみました。
毎週行っていると若いマダムに覚えられて、なぜか讃美歌をくれました。
ある日のこと、そのマダムに「家に来ない?」と誘われて、
ちょっと迷いましたが行くことにしました。
夕方になり「夕飯食べていかない?」と言われ、
断れなくてうなずいたんですが、夕食が終わると
「泊って行かない?」と言われた時は誘拐かと思いました(・_・;)
ここがどこだかわからなくて暗くなっていたけど、
帰してくれそうもなかったので、Hélèneに電話で状況を伝えて泊まりました。

翌朝どうやって帰ったか覚えてないですが、
Hélèneの顔をみてホッとしたことは覚えています。
人生で一番の肝試しだったような気がします。
誘ったマダムは翌週もケロっとしていて「またおいでね」と言われました。
なんであんなに気に入られたのかよくわかりません…(・_・;)

I.N.B.P.受験
I.N.B.P.の正式名称は
Institut National de la Boulangerie et Pâtisserie(国立製菓製パン専門学校)です。
Alliance Françaiseに通いながら、適宜確認をしていて願書提出を済ませていました。
そして入試当日です。
入試科目は国語(仏語)、数学、性格適正検査、面接…
留学生は辞書の持ち込みが許されていましたが、
「なんであの人は辞書出してるんだ!」と抗議されました。
その人は合格後のクラスにいませんでした。
性格適正検査で失格だったんですかねぇ…
Institut National de la Boulangerie et Pâtisserie(国立製菓製パン専門学校)のHPはこちら
アパルトマンへお引越し
I.N.B.P.から合格通知を受け取った時は本当に嬉しかったです。
すぐに入学手続きをしました。
一緒にI.N.B.P.と目と鼻の先にあるアパルトマンへ入居の手続きをしました。
Florence(フロホンス)が車を出して引越しを手伝ってくれました。
家具付きのワンルームです。

ベットはあるけど布団がない…
それを知ったHélèneが布団一式を無償で貸してくれました。
こんな感じで娘のように可愛がってもらいました。
こうしてHélèneのおうちを出て、いよいよ一人暮らしとパン学生生活が始まるのでした。

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